音楽とかお歌とか。

 何を書こうか考えずにダラダラと長文を書きます。タイトルは音楽とお歌。自分にとっては実は切り分けができていて、作りたい音楽と歌いたい音楽には不一致がある。自分で作って自分で歌って自分なりに出来上がった曲は、果たしてどちらかを妥協してやったのかというと、曲が完成に至ると、実にちゃんと収まっていたりする。




 作りたい音楽と歌いたい音楽を一致させるには、もしかすると技術を習得することで適うのかもしれないし、今後もずっと一致しないままなのかはわからない。もっとエッジが効いてて、浮遊する音や、規則正しく整列されたビートで、スライスされてバツっと切れるカットアウトの次には、カメラのフォーカスが外れて更にブラーがかかったようなシンセパッドが続く、そんな曲を作れたら。もっとブルーノートで、もっとジャジーで、心地よいオンベースなバッキングで流れるように歌うことができたら。リスナーとしての部分もあるから、自分で聴いて心地いいものを作りたい。などなど、思い描いているときは楽しい。実際に作り始めると、理想通りにはいかない。けれども、それもまた楽しいから今まで続いているのかも。

 最近、コーラスとして参加させていただいた曲があって、全くの未知のジャンルだったんだけれども。これは僕の声でいいのだろうか、とか。完成した楽曲を聴いて、ああ、良かったと。十分には共感できる曲ではないのだけれども(ごめんねGさんw)、ああ、大丈夫なんだ、と。長く音楽をやってきた割に、人様に自分の声をお渡ししたりするとなるとやはり怖いのだなぁと。その曲がこちらです。



 お歌に関しては、情緒的な部分を技術でカバー…とか、そこまでいかないが、感情だけで突っ走る歌はあまり好きではない。もちろん、生まれついての才能というか、天才的にそれができることもある。理屈抜きにできてしまう人もいる。自分にはないので、違う形で表現できるはずと思った。

 随分前に、別のブログにも書いた気がするが、僕は自分の声に関してのコンプレックスが非常に多い。それこそ声変わりする前までは、きれいな声だと、たくさん褒められた。けれど、中学になって合唱などで人前で声を出したとき、あまり良い評価はなかった。音痴だとも言われたし、声自体もあまり良くなかった。カラオケを知って、人前で歌っても笑われないように一生懸命練習をした。結果、自分なりに表現ができる技術は身についたが、声質は変えられない。

 歌を録音して客観的に聴くようになってからは、だいぶ慣れてしまったが、それでもまだ落ち込んでしまうことがある。そして鬱ぎ込んでしまうのだけど、そういう瞬間にも慣れてしまった。

 人間なのだから人に良く評価されたいに決まっているので、褒められると素直に嬉しい、ちゃんと嬉しがるようにしようと思っている。舞い上がってしまってもいいじゃないかとも最近は思えるようになった。年取ったのだなぁとも思う(笑)。

 もとい、作りたい音楽と歌いたい音楽の不一致の話。こうやって書きながら考えてみても、不一致である所以のアンバランスさというか、不安定さが僕自身好きなのかもしれない。一貫性がないのとは違って、振れ幅に余裕があるというふうに捉えてみよう。むしろ自分自身を表現するときに、音楽がそれに相応しいのだと。腑に落ちた。

 今年ももうすぐ終わってしまう。早いなぁ。現実から逃げていないわけではないが、だったら楽しいことをちゃんと楽しもう。珍しく前向きだ。

おしまい。

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