母のこと。

 2月20日木曜日、朝9時27分に母が天に召されました。83歳でした。葬儀は火葬式として、近しい身内だけで静かに執り行いました。少し落ち着いたので、思っていることを綴りたいと思います。

 長くなりますが、まずは母のここ数ヶ月の病状について書きます。

 

 腰部脊柱管狭窄症の長期間にわたる疼痛によって4,5年前に中枢感作を起こしてしまい、股関節の酷い痛みから歩行困難になっていました。それでも、昨年の10月までは普通に家の中を歩き回れるほどだったのですが、その後何度も転倒してしまい、ベッドから起きるのも難しくなっていました。

 去年12月には訪問看護のお世話にもなっていましたが、31日の朝、意識が朦朧となり、40分ほどで意識は回復したものの救急車で市立病院に。検査結果は脳や心肺にも急を要するような異常はなく、ただ心不全があるので一時的に脳に供給される酸素が少なくなったためだろうとのことでした。ただ、その後、食欲の低下と足首のむくみが酷く、普段通っているクリニックの先生の紹介で近くの総合病院の循環器科で検査入院をすることになりました。それが1月の上旬です。

 いくつかの検査でわかったことは、お腹の周りに水が溜まっていることと、腎臓の数値が極端に悪くなっていること、血管が脱水状態であること。母はもともと腎臓の数値があまり良くなく、強い痛み止めを飲むことができませんでした。そして便に少し血が混じっているとのことでした。甲状腺の機能不全が疑わられたので、蛋白を点滴することになりましたが、一向に吸収されないので、次に消化器科でさらに診察をしてもらうことになりました。

 大腸の検査で、いくつか壊死している部分が見つかり、レントゲンを取りたいが腎臓の数値があまりにも悪いために造影剤を使えない上に、これ以上の検査や治療をしても回復の期待が持てないと主治医から聞いたのが2月の上旬でした。

 入院時から、高齢であるために蘇生処置についての話も済んでおり、母本人も元気なときから無理に蘇生措置を取らないでほしいと何度も聞いていたので、最期のときはとても穏やかでした。病名が分からないままでしたが、死因は多臓器不全でした。

 

 生前の母は、子供の頃の高熱で右耳の聴力がなかったり、若い頃も結婚後もたくさん苦労をして来ました。40代の頃、右半身不随と言語障害になった父(当時50代)の介護をしながら働き、2人の子どもを必死に育ててきました。20年ほど前にそんな父も他界しました。

 社交的な性格で体調がいいときには必ず日曜礼拝に参加して、信徒の人たちとお喋りをするのが大好きでした。それ以外のときは、外に出歩くのは嫌いで、家に居ることが好きな人でしたが、じっとしているのは苦手で、料理をしたり、掃除をしたり、庭弄りをしたり、部屋を片付けたりするのが好きな人でしたから、痛みが酷くなってベッドから出られなくなったときは、本当に辛かったと思います。見ていても本当に辛かったです。 それらから開放されて本当に良かったと、そう思えます。

 今現在は悲しみというのはなくて、寂しさだけが少しあります。母はクリスチャンだったのでまたいつか会えると思えるからだと思います。それに悔いもあまりありません。同じ家にずっと住んでいて、母と僕とは性格が真逆に近いので、しょっちゅう喧嘩してましたが、すぐ仲直りできるので、非常にいい関係でした。それに「息子たちがずっとそばにいて幸せだ」とよく話していました。

 

 そういうわけで、珍しくかなり個人的なことを書いてみました。こんな長い文章を書いたのも何時ぶりだろうかw。1ヶ月経ちましたが、夢には母が一番元気で台所に立っている姿が出てきます。部屋も未だ全部片付けることができていないので、ぼつぼつしていこうと思っていますが、僕のことマイペースすぎる性格のために、ペロッと年をまたぐかもな。

ごきげんよう。

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